今日は剣山荘から剱岳を登山します。別山尾根をピストンして、カニのタテバイとヨコバイを通過します。その後は、剣山荘にもう1泊する予定ですが、剱御前小舎に宿泊することになります。

午前3時半頃、山小屋を出発します。ヘルメットとヘッドライトは必須です。朝ごはんを山小屋で食べてから出発すると、剱岳の難所で大渋滞に巻き込まれることが多々あるようです。また、雲一つないような絶景を眺めるには、気温が上がる前の早朝登山がベストです。

一服剱を通過し、武蔵のコルまで来ました。カメラの感度を上げているので明るく見えますが、実際はもっと暗いです。次第に明るくなってきたので、ヘッドライトは不要になります。目の前に見えるのが前剱になり、そこで日の出を見れたらと思います。

鎖場が幾つか出てきますが、今のところ難所はありませんでした。

標高2,813mある前剱に到着しました。

日の出の右手に見える双耳峰は鹿島槍ヶ岳でしょうか。

剱岳の山肌がモルゲンロートで赤く染まっていました。

チングルマも赤く染まって綺麗です。

剣沢カールや立山、薬師岳など北アルプスの名峰も済んだ空気の中で、赤く染まっていました。

影剱岳が見えました。先に進みます。ここから登山道と下山道が別れたり一緒になったりします。

長さ4m程ある鉄の橋を渡ります。登り専用の道になります。ここから難所が幾つも登場します。

登りは右の鎖場を通り、下山は左の鎖場を通ります。

剱岳の別山尾根は、槍ヶ岳の穂先をずっと歩いているようなコースと例えられることがあります。一般登山道として一番難しいと言われることもあり、登山者によっては行くのを躊躇してしまうこともあるようです。

急傾斜の鎖場を下っていきます。足を置く場所はちゃんとあるため、見た目ほど怖くも難しくもありません。

先ほどの鎖場を異なる角度で見るとこんな感じです。剱岳は一般登山道を歩く分には、イメージしていたよりも事故が少ないように思います。どちらかというとバリエーションルートでのクライマーの死亡事故が多いと思います。翌日は上級者ルートの小窓ノ王付近で1人滑落によって亡くなっています。今年のこれまでの事故で死者は4人ですが、その内3人の事故現場は小窓ノ王です。

カニのタテバイが見えてきました。本来ならここで渋滞にはまってしまうようですが、ガラガラでした。

カニのタテバイは物理的難易度よりも精神的難易度がありました。「私の手足がもう少し長ければ、もっと身長があれば、もっと楽に登れたのに。」私が短手短足低身長である現実を突きつけられ、私の精神は崩壊寸前でした。

足を置く場所をちゃんと見極め、三点支持を守れば、短手短足低身長でも通過できました。高度感はあるため、高所恐怖症の私は苦手意識がありました。

一枚岩の鎖場が登場しました。ここはタテバイと同様に登り専用です。前を進む登山者と同様に右側で行こうとしたら、私には無理でした。おとなしく鎖を使います。足を置く場所がないため、靴のグリップと腕力だけで登りました。普段から登山ではストックを使わず、脚力のみで踏破してきました。それ故に腕力が皆無で、すぐ腕が疲労でプルプル震えるようになりました。個人的に面白い感覚です。

カニのヨコバイに到着しました。下り線用で、帰りはここから進むことになります。2019年9月8日、カニのヨコバイを逆走しようとした19歳の単独登山者が、午後5時に登頂し、下山中の午後6時頃、前剱で滑落死した事故がありました。他に、今日宿泊する剱御前小舎で、同室になった登山者の知り合いの知り合いである銀行マンがカニのヨコバイで滑落死した話を聞くことになります。同室の方は新潟出身だったので、2022年9月5日にヨコバイで滑落死した人の話かもと暗に理解しました。事故翌日の登山記録を調べてみると、登りの登山道は血まみれだったようです。

ほとんどの人は無事に下山できますが、事故ったら死んでしまう山、それが剱岳なのだと思います。推測ですが、槍ヶ岳や奥穂高岳など岩稜を登ったことある人が剱岳にも訪れるため、事故率が低いのかもしれません。自分の力量で登って大丈夫なのか、自分も他人も分からないのが登山の難しさに感じます。

カニのヨコバイから山頂までは難所はありませんでした。よく整備されて歩きやすい岩稜です。

朝の7時前に標高2,999mある剱岳に登頂しました。日本百名山28座目だったと思います。登山を始めてちょうど6年になります(5年11ヶ月)。登りたいと思い続け、悪天候に泣かされ、4年越しに登頂できました。雨だったら登らなかったです。

こんなに良い景色に恵まれることは珍しいようで、運を大量に使い果たしてしまったかもしれないくらい、絶景が待っていました。ちなみに、山小屋で朝ごはんを食べてから登り始めると、標準タイムで登れたとしても、ガスってしまい残念な景色になってたかもしれません。

剣山荘のお弁当を頂きます。普通に美味しいのに、山頂で食べるともっと美味しいです。

富士山も見える程、澄み渡る空気は肺に流し込んでも気持ちが良いです。名言なのか迷言なのか。

薬師岳

立山

右にあるのが源次郎尾根、左にあるのが八ツ峰。クライミングは絶対に無理というか、高所恐怖症で気絶確定なので、無縁な道です。クライミングやボルダリングで指皮がボロボロになるのは、もともと手荒れしやすいためNG行為です。

白馬岳

池平山がある景色です。こっちに死亡事故多発の小窓ノ王があります。

眼下には早月尾根と、剱岳早月小屋が見えました。富山湾に向かって早月川が流れています。山頂で50分程休憩していたら、だんだん混雑してきたので下山します。

チシマギキョウです。昨日見かけたイワギキョウ違って毛があります。剱岳にも高山植物は多く自生していました。

タカネヤハズハハコ

カニのヨコバイでは10人くらいの渋滞が発生していました。本当に渋滞する時は1~2時間待ちになることもあるらしいので、数分待つだけで済んだことは本当にラッキーでした。

カニのヨコバイは足元が全く見えないため、慎重に足を置いて進みます。

少し離れた場所から見たカニのヨコバイです。肝心な個所は手前の岩で隠れていました。今のところすらすらと下山できてラッキーです。

平蔵の頭です。垂直に見える鎖場は足場が多く、鎖は補助的に使うだけで済みました。

イワカガミ

裏側には長さ4m鉄の橋があった場所です。下山路の方が簡単でした。

朝9時過ぎに前剱に到着しました。このまま下山すると、随分早い時間に剣山荘に到着できます。翌日は立山を縦走する予定ですが、朝ごはんをお弁当にして、夜明け前に剣山荘を出発する予定でした。もし今日、剱御前小舎に宿泊すれば明日は山小屋で朝ごはんを食べて立山を縦走することが可能です。剱御前小舎なら日没や日の出を山小屋近くで観賞できます。

電波が通じる前剱で、剱御前小舎に電話して宿泊予約が満杯ではないことを確認しました。剣山荘に今日の宿泊キャンセルの電話をした後、剱御前小舎に正式に予約をしました。直前のキャンセルを快く承認してもらえ、キャンセル料も発生せずにとても助かりました。この急な計画変更は個人だからこそ可能で、この選択は大正解の結果になります。

奥大日岳が低く見えました。

鹿島槍ヶ岳

鹿島槍ヶ岳

行きは真っ暗で良く見えなかった剱岳の姿は帰り道で楽しみます。

剱岳は映画「劒岳 点の記」の舞台になっており、前人未踏と言われる剱岳の測量物語です。実話を基にした映画です。明治時代に測量隊が初登頂と思って登ってみると、山頂には錫杖が刺さっており、実は平安時代には山伏に登られていたという現実があります。

コバイケイソウと剣山荘と剣沢カールを1つの景色に合わさって、夏の北アルプスっぽい景観でした。

午前11時前には剣山荘に戻って来れました。ザックを整理しながら、休憩したら出発します。

ミヤマアカバナ

ミヤマアカバナ

ウサギギク

ウサギギク

ピンク色のミヤマダイモンジソウ

剱澤小屋に到着しました。雲が多くなり、今日の終着点である剱御前小舎にたどり着く前に雨が降り始めます。

剱澤小屋の目の前は剱岳の絶景が望めるようになっていました。岩と雪の殿堂、剱岳。

剱沢キャンプ場に到着しました。午後は雷雨になってしまうのですが、テント泊の人は気にせずに過ごすのでしょうか。ちなみに先月このテント場で、テント設営中にテントが稜線まで飛ばされる出来事がありました。標高差200m以上飛ばされるとは災難です。また山頂アタック中に強風でテントが飛ばされる事案も見受けられました。

山小屋は目の前なのに、雨が降ります。今日の夕陽は断念しないといけないのでしょうか。

剱御前小舎に到着しました。景色は皆無になってしまいました。稜線上にある山小屋で、水は雨水しかありません。シャワーはありません。水も煮沸が推奨されていました。

早く到着出来たため、夕食と朝食の時間を選べます。1回目から3回目まであり、夕食は1回目の17時にしました。日の出は5時なので、朝食は2回目の5時半にしました。

寝床は部屋だけ決められており、場所は早い者勝ちとなっています。角っこを選択しました。4人のみ予約が入っている部屋でしたが、荒天によって8人まで増えました。3人で2畳のスペースでしたが、お隣がいなかったため、寝やすかったです。他の部屋には団体ツアーの大所帯もいました。1つの旅行社で、ガイドが4人もおり、山小屋の入り口横にある休憩室は団体ツアーで占領されることになります。

剱御前小舎の夕食

夕食は豚焼きでした。生姜の味はなかったので、生姜焼きではなさそうです。甘じょっぱくて美味しかったです。お米も美味しかったです。味噌汁は越中みそを使っているためか、こうじの味がしました。

夕陽が沈みそうな頃に外に出てみると、雷雨は止んでいました。登山靴を履いた瞬間に、靴の糸が切れてしまいました。放置したままだと危険だったため、持参した結束バンドで応急処置をしました。靴トラブルで困っていた他の登山者に結束バンドをあげたことはありましたが、実際に自分が使うことになるのは、初めてでした。

滝雲が流れていました。剱御前小舎から剱御前の方へ7分くらい歩いた場所が夕陽や朝日の観賞場所として有名です。ツアー団体客でひしめき合っていました。

剱御前には誰もいないようだったので、そこで一人になることを決めました。目の前の尖った場所が、夕陽を待つ人で混雑した場所です。

標高2,776mある剱御前の山頂に到着しました。日本百高山70位になります。ここなら誰もいないので、歌い放題、踊り放題、おひとり様天国でした。

奥大日岳の右側にある富山湾の方に夕陽が沈んでいきます。

剱岳を登り、無事に下山でき、一日が終わる日没を待つ。一人で風と静寂の音色を聞きながら、今日一日の特別な体験を反芻します。

剱御前に来たのは、剱岳の展望が良いからでもあります。アーベントロートに染まる剱岳が綺麗でした。

スフィンクスが沈む夕日を見つめているように見えました。

暗くなる前に山小屋に戻ります。夜の8時消灯なので、その前に寝床に入りました。本当は星空撮影をしたかったのですが、狭い相部屋では、移動する度に人の足を踏んでしまう可能性が高く、諦めました。お隣からいびきが聞こえましたが、疲労によって眠ることができました。登山初日だったら完全に眠れていなかったと思います。