平泉寺白山神社
平泉寺白山神社とは、717年、霊峰白山へお参りをするときの登り口として泰澄大師によって開かれました。最盛期の戦国時代には僧兵が8千人、僧坊が6千いたと伝えられ、最大規模の宗教都市となり白山信仰の拠点として繁栄しました。
1574年、和田本覚寺が率いる一向一揆軍の攻撃により、平泉寺は全山を焼失しました。その後、弟子の専海と日海を連れた顕海によって平泉寺は再興されます。
境内一面を覆う苔の絨毯や、石畳の参道はとても美しく、「日本の道百選」に選ばれています。

基本情報

住所
福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63
アクセス
えちぜん鉄道「勝山駅」から勝山市コミュニティバスに乗車し、「平泉寺神社前」で下車し、徒歩1分。
営業時間
24時間
料金
なし
観光シーズン
オールシーズン
観光時間
1時間
その他

地図

マップ
地図
白山平泉寺歴史探遊館 まほろば
白山平泉寺歴史探遊館「まほろば」は史跡平泉寺や白山の歴史・自然・文化に関することを展示紹介しています。入館料:無料。開館時間:9:00~17:00。

境内

精進坂
御手洗池
1200年以上前に泰澄大師が植えた御神木
御手洗池の中央にある岩は、影向岩と言います。泰澄大師がこの岩に向かってお参りしていると、一人の女神が現れ、「今、私は権現である」と言われました。これが神仏習合のはじまりです。
また、「私の本当の姿は、白山の頂上にある。早く登ってきなさい」と言われ、泰澄大師はその女神の導きにより白山の頂上を極めることができたそうです。
二の鳥居
開山社
一の鳥居は精進坂を上ったところにあり、二の鳥居は一の鳥居の後にあります。一の鳥居と異なる二の鳥居は権現造といい、鳥居の中央に屋根がついている神仏習合の時代の独特なものです。おそらく日本にはここにしかないです。

拝殿

現在の拝殿は、江戸時代につくられた寄棟檜皮葺で、平安時代の風情をよく残しています。
寄棟とは4方向に傾斜する屋根面のことを指し、檜皮葺はひのきの樹皮を用いて施工した屋根のことです。
1574年、一向一揆に焼き討ちされて全山を焼失しましたが、江戸時代の終わりに建てられ現在に至ります。
拝殿
拝殿周辺の苔
拡大した苔

本社

1795年に第12代福井藩主松平重富により再建されたものです。
本社の扉は33年に一度しかあけられません。
この本社の龍の彫刻はとても見応えがあります。
本社の向かって左手にある大汝社は大己貴尊をお祀りしています。
本社の龍の彫刻
本社の向かって右手にある別山社は天忍穂耳尊をお祀りしています。
三宮の入り口
三宮
三宮は1597年に建立され、1889年に改築されて現在に至ります。安産の神様としての信仰されている栲幡千々姫尊が祀られています。三宮からは泰澄大師が開いたといわれる白山への登山道となっていて、この道を白山禅定道と言われています。