11世紀頃に一枚岩を彫り抜いて造られたバリ島で最大の石窟遺跡。グヌンカウィとは「古代詩の山」という意味で、大きな崖を内側に削る形で作られた石墓です。ワルマデワ王朝の第6代王アナック・ウンスが造った王家の陵墓とされています。
2ヶ所に分かれている石墓は4つと5つの計9つあり、それぞれ石墓の高さは7mあります。
グヌン・カウィは誰が彫ったのか不明です。当時のインドにも同じような石窟遺跡があり、インドの文化や技術がバリ島にも伝わっていたことを示しています。
基本情報
住所
H7WV+49, Sebatu, Tegallalang, Gianyar, Bali, Indonesia
アクセス
クタから車で約1時間10分ほど、
ウブドからは車で30分の距離にあるため、カーチャーターで行くのが一般的です。
入口

入口

サロン(腰巻き)を借りて見学

お土産屋
遺跡は割れ門の入口から続く細い一本道を下っていくとあります。結構下にあるため、入口からは遺跡は見えません。

バリ島らしい田園風景です。

一本道は田んぼに囲まれています。
この辺りは「パクリサン川流域のスバックの景観」としてユネスコ世界遺産に登録されています。ここから車で5分の場所にティルタウンプル寺院があります。

約350段ある階段
石墓

妃または内縁の妻を祀った4基の石墓
このグヌンカウィを造ったバリのワルマデワ王朝の第6代王アナック・ウンスの父親はダルマ・ウダヤナで第4代王です。
第4代王の妻は東ジャワのクデェリ王国のマヘンドラダッタ姫です。
アナック・ウンスの兄はエルランガで、東ジャワのクデェリ王朝のダルマ・ワンサ王の女婿になっています。
2番目の兄はマラカタで、第5代王です。
石墓は、巨人が一晩で指の爪で刻んで作り上げたのだという言い伝えが残っています。
パクリサン川が流れる石橋を渡った対岸の先には5基の石墓があり、王家の陵墓になっています。

石墓はチャンディと呼ばれます。

5基の石墓
グヌンカウィはアナック・ウンス王家の陵墓とあるように、5基の石墓には父①ダルマ・ウダヤナとその妻の②マヘンドラダッタ姫、兄③エルランガと④マラカタ、⑤アナック・ウンスを祀っています。
この石墓本体が墓というのではないようです。王達の輪廻転生を願って造られたとされています。
4基の石墓の方が王家の陵墓で、父①ダルマ・ウダヤナとその妻の②マヘンドラダッタ姫、兄③エルランガ、④アナック・ウンスを祭っていると説明されることもあります。
その場合、マラカタに関する記述が一切記述されることがないため信ぴょう性は低いように思います。マラカタはダルマ・ウダヤナ死後、王になりました。マラカタが亡くなった後、アナック・ウンスが王になっています。
その他

僧侶が祭典の際に使う建物
裸足じゃないと入れない場所です。

ワルマデワ王朝とは913年に築かれ1342年まで続くも、ジャワのマジャパイト王国に滅ぼされました。
滅ぼされるまでの間、1248年には、ジャワのクデェリ王国を滅ぼしたジャワのシンガサリ王国の軍隊によって征服されて服属します。その8年後には、当のシンガサリ王国が新王国マジャパイトによって滅ぼされ、再び自由になりました。