アンコール・ワットとは、アンコール王朝のクメール王国が有したピラミッド式の巨大寺院群であり、1992年にカンボジアで初の世界遺産になったアンコール遺跡群の1つです。スーリヤヴァルマン2世によって12世紀初頭に創建され、クメール語でアンコールは王都、ワットは寺院を意味します。
ヒンドゥー教寺院ですが、これまで主流だったシヴァ派に代わり、この寺院はスーリヤヴァルマン2世の信仰するヴィシュヌ派の寺院として創設されました。
寺院は南北約1300m、東西約1500mの堀で囲まれています。参道は約600mの長さです。中心部の構造は、三重の回廊になっておりその真ん中に中央祠堂があります。スーリヤヴァルマン2世は王権を神格化し、中央祠堂が宇宙を支配する神々の1神であるヴィシュヌ神が降臨し王と神が一体化する場所とする等で王の権力を誇示しました。アンコール・ワットは神のための宮殿であるため、耐久性のある砂岩やレンガで造られています。
中心部の第一回廊から内側は6:00から観光可能
駐車場から歩いて行くと、アンコール・ワットの正面に到着です。お堀には西参道があり、その手前にはお土産店や食堂が並んでいます。1992年に世界遺産になった記念碑が日本語でも刻まれています。ドリアンも売られていますが、遺跡内やホテルに持ち込みは出来ません。
西参道は2020年頃まで修復工事のため、右側に浮き橋が設置されています。浮き橋の手前でアンコール遺跡群チケットを提示し、通行できます。現在どこを修復しているのか調べておくと、見学に失敗しません。
周壁には内側への入口となる門が幾つかありますが、どこから入っても問題ありません。
寺院の中央部から見て左右対称に置かれた経蔵は書物を収蔵する場所です。当時はヤシの葉や動物の皮などに記録を残したため、記録は朽ちて残っていません。経蔵の中は太陽の影響を受けず、高さもあるため祠堂群を撮影するのに適した場所になっています。
聖池も経蔵と同様に左右対称に存在し、2つあります。
アンコール・ワットでは朝陽鑑賞が人気で、そのため朝5時から敷地が解放されています。聖池の前で大勢の観光客が隙間なく朝陽を待っています。2つある聖池の内、左側は柵で囲まれているため、右側の聖池で逆さ祠堂群と共に昇る朝陽を待ちます。
聖池び前は人混みで一杯なので、経蔵から静かに朝陽を鑑賞するのがおすすめです。
朝6時までは聖池までで、祠堂群の中には入れません。また夕陽は反対側の西参道がある方に沈むため、アンコール・ワットで夕陽鑑賞する観光客は少ないです。ツアーでの夕陽鑑賞は別の遺跡プレループなどがおすすめです。
第一回廊は祠堂群の中にある3重になった回廊の一番外側です。壁に数々のレリーフが残っているのと同時に、フランスが修復した際に壁に穴をあけており、その穴がそのまま残されています。
第一回廊西面南側の浮き彫りはインドの叙事詩「マハーバーラタ」が描かれています。カウラヴァ族とパーンダヴァ族が王国を巡って物語でパーンダヴァ族の勝利によってカウラヴァ族は全滅します。
第一回廊南面西側の浮き彫りはアンコール・ワットの創健社であるスーリヤヴァルマン2世の行軍が描写されています。
サンスクリットは日本で言う仏教の文字のようなもので、普通のカンボジア人は読めません。
十字回廊は第一回廊と第二回廊を繋ぐ回廊で、ここからは中央祠堂が見えないようになっています。
十字の回廊の脇に4つの沐浴池の跡があります。
十字回廊の一角に、江戸時代の武士が書いた墨書の落書きが残っています。
1632年に森本右近太夫一房によって書かれた墨の落書きは漢文で書かれているが、訳すると以下のようになります。
寛永九年正月初めてここに来る。生国は日本で肥州の住人の藤原朝臣森本右近太夫一房です。御堂を志し数千里の海上を渡り、一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために、ここに仏四体を奉るものです。
落書きは他にもう1つあります。
窓の格子の影が3つの尖った山のようになっています。これが中央祠堂と両端の副祠堂の姿に見えます。
第三回廊は第二回廊より16m高く回廊の四隅には4つの副祠堂があり、中央には高さ65mの中央祠堂がそびえ立っています。当時、王や身分の高い人しか中に入る事が出来ませんでした。
アンコール・ワットの宇宙観では、中央祠堂は世界の中心で神々が住む須弥山(メール山)を表しています。また回廊はヒマラヤ山脈、周壁の外にある水がたまったお堀(環濠)は無限の大洋を象徴しています。