大内宿とは、江戸時代に重要な運搬路としてあった会津西街道沿いの宿場町です。茅葺き屋根の民家が立ち並び、江戸時代の姿をそのまま残しています。1981年に国重要伝統的建造物群保存地区として選定され、福島県を代表する観光地です。
参勤交代で江戸へ向かう大名や旅人の宿場町として栄え、伊達政宗が小田原征伐へ向かう時や豊臣秀吉が奥州仕置を終えた後、京都に戻る時に大内宿を利用している記録が残されています。
また幕末の1852年には吉田松陰が東北各藩を歴訪する旅行で通過したり、明治時代にイギリスの探検家イザベラ・バードが大内宿に宿泊しています。
大内宿名物としては「高遠そば」があります。箸代わりの長葱で食べる形式で、長葱は薬味としてかじれます。

基本情報

住所
福島県南会津郡下郷町大字大内
アクセス
湯野上温泉駅からタクシーで10~15分
湯野上温泉駅から乗り合いバス「猿游号」に乗車し大内宿入口で下車。
営業時間
9:00~17:00(店舗により異なる)
料金
なし
観光シーズン
秋~冬(紅葉と雪景色が人気)
観光時間
1~2時間
その他
半夏祭り:毎年7月2日の半夏の日に開催される祭り。
雪まつり:2月の第2土・日の2日間に渡って行われる祭り。

詳細情報

大内宿の街並み(紅葉の季節)
一番奥の高台から街道を見渡せます。
全長約450mの街道の両側には30軒以上の茅葺き屋根の民家が並んでおり、お土産屋や食事処になっています。
正法寺
正法寺は宿場の突き当たりにあるお寺です。室町時代後期の1567年に建てられ、菩提寺として阿弥陀如来を祀っています。
戊辰戦争の際に、大内宿は会津軍と新政府軍の激戦地になりました。新政府軍に利用されないように会津軍は宿場を焼き払おうとしましたが、村人たちの必死の頼みで免れ、現在に至っています。
展望台へ続く階段
子安観音堂は急な石段を82段のぼりきった先にあります。
お堂の中には子どもの健康を願って奉納された小さな着物が沢山あり、子宝を願う人々に信仰されてきました。
大内宿の撮影スポット
福島の観光パンフレットに載っている景色です。
会津西街道は会津藩主の保科正之によって整備された、会津の若松城下から下野の今市に至る全長130kmの街道です。下野街道と呼ばれる事もあり、大内宿だけでなく倉谷宿や田島宿など多くの宿場があります。
お土産屋
食事処
ちりめんを使ったインテリア雑貨
昔ながらのおもちゃ
お土産屋には、福島のお菓子だけでなく都会には売っていない郷土土産を売っています。
お菓子のお土産屋。栃餅も名物です。
用水路で冷やされるラムネ
江戸時代から現代まで、大内宿の人々の生活を支えている自然用水の流れは日本の音風景100選に選ばれています。
高遠そば
会津藩主の保科正之は蕎麦好きだったとされます。領地を会津に移転する際に一緒に蕎麦打ち職人を連れて来る程でした。この蕎麦打ち職人と共に「高遠そば」も福島県会津地方に根付きました。
大内宿では鰹節をかけた蕎麦を大根おろしを入れただし汁につけ、箸代わりの長葱で食べます。大根おろしの味が強い蕎麦です。
高遠そばで有名な三澤屋
値段は1080円(現在値段は違います。)
高倉神社に続く一の鳥居
二の鳥居
高倉神社
鎮守の森の中にある高倉神社は後白河天皇の第2皇子(高倉以仁王)の霊を祀ったとされています。